翻訳・要約担当者からのまえがき
注意1:文の流れ等が悪く、論理的に乱暴であったり無礼に見える箇所もあるかもしれません。それらは私の能力不足によるものです。そう感じる方がいらっしゃいましたら素直に謝ります、ごめんなさい。また、興味のある方は原文を全部読んでみてください。
注意2:基本的に英語圏の開発者向けに書かれた内容であり、内容にはそれはちょっと、と突っ込みたくなる箇所も (多々) ありますが、「別の視点を得る」ことを目的として一読いただければ幸いです。
MADE IN JAPAN:西洋の視点から見た日本のゲーム開発
Ryan Winterhalter 著
Gamasutra
2007 年 4 月 25 日
URL:http://www.gamasutra.com/features/20070425/winterhalter_01.shtml
翻訳前半: MADE IN JAPAN:西洋の視点から見た日本のゲーム開発 翻訳前半
言語と文化の問題
言語の壁は日本で働く外国人にとって問題であることは間違いない。 長年日本に住み国籍も移していても、レストランで注文も出来ない、という人も珍しくない。 米国防衛省では、日本語をレベル 4 の言語(韓国語、中国語、アラビア語と同じ)と分類しており、”限定的な業務に必要な習熟度” に達するにも 63 週間の集中的な学習が必要と説明している。一方、レベル 3 のベトナム語、タイ語、ロシア語などの言語は 43 週間だ。
タバレス氏によれば、言語の壁に適応しなければならないのは日本人側と外国人開発者の両者であるという。 「日本人スタッフは、私の日本語スキルが高くないとすぐに分かったようでした。 でも私のプログラミングスキルは高かったので、すぐに他の人にはできない仕事が割り当てられるようになりました。 チームには英語が話せるスタッフが 1 名いてサポートしてくれましたが、彼には私の日本語が上達しなくなるので可能な限り英語で話さないで欲しいとお願いしました。 かなりのコミュニケーションは絵を使って行いましたね」
カスバート氏もまた、来日当初は言語の壁に悩まされました。 彼の場合、チームの対応は次のようだったといいます。「日本人スタッフが英語を覚えたんです!宮本さんの英語は、ほとんどスターフォックスチームから覚えたようなものですよ。 ただスターフォックスの開発も終わりに近づくと、彼らの英語よりも私の日本語の上達のほうが速くなってきていたので、スターフォックス 2 のときはすべてのコミュニケーションが日本語で行われました」
日本語を第二言語として学ぶ者にとって、丁寧さや敬意を示す動詞の語形変化と語彙、すなわち「敬語」は最大の難問のひとつだ。そして職場においては、敬語こそが優先的に使われる。 社内でのコミュニケーションには丁寧語、上司やクライアント、ユーザーなどに大しては尊敬語が使われる。 カスバート氏は次のような順で日本語を学んだという。「僕の場合、最初に標準的な口語を覚えてから、徐々に敬語や丁寧な言葉を覚えていきました。 普段はみんな口語で喋っているから敬語より覚えやすかったし、敬語だと硬かったりよそよそしかったりするので」
一方で日本人は、たとえ敬語が求められている状況であっても、外国人には敬語を話すことを求めない傾向がある。 実際、日本人は外国人=日本語がまったくしゃべれないと思い込んでいる、と非難する外国人は多い。 さらに悪いことに、管理者が「日本語がわからない」という欠点を不当に利用する例がある。 バーネット氏は言う。「最初私の日本語が酷かった頃、"日本語ができない" ということは、上司がいつでも使える具合のいい逃げ道になっていました。 当時は、何を聞いても、何を頼まれても、どんな問題があっても、"でも君の日本語力では…" というセリフで片付けられてしまっていたんです。 これを止めてもらうには、徹底的に抗議して退職までほのめかす必要がありました」
日本人は外国人に対して英語以外の言語で話しかけにくいと感じることがある。 これは外国人社員にとってみれば不運なことで、彼らの日本語スキルはそこで頭打ちになってしまう。 カスバート氏の言葉を紹介しよう。「日本の人たちは英語で話そうとしますが、とにかく自分に自信を持ってあきらめないことです。そうでなければ、あなたの日本語力はあっという間に上達しなくなるでしょう」
違いはまた、言語以外にも存在する。 一部の企業では、(西洋とは)全く異なるデザイン感覚が採用されている。 カスバート氏の場合、これが特にはっきりしていた。ヨーロッパでは NES(Nintendo Entertainment System:ファミコン)がポピュラーではなく、英国で日本製ゲームに触れる機会があまりなかったためだ。 彼のこの点は、スターフォックスに長所として反映されていると言える。このゲームにより、任天堂はヨーロッパでの活動を開始したからだ。 「任天堂の細部にこだわる姿勢には本当に驚かされました。ゲームデザインの最も小さい要素にさえこだわり抜くんです。 おかげでとても楽しんで仕事ができました。 僕自身もディテールのことになるとトコトンこだわります。 1 ピクセルを納得いく場所に置くために何時間もいじくり回したりしますから。 なので任天堂チームで働いているときに自分と同種の人と何人もめぐり合えたし、それで日本を愛す気持ちを一層強くなりましたね」
また、報道機関に対する態度も異なる。 開発者にとっては、広報やマーケティングにうるさく言われることなく設計する自由がある、とバーネット氏は言う。「この点は、間違いなく日本のゲーム開発の好きな点ですね。広報、報道関係、マーケティングのことは開発のかなり後半になってから始まります。 広報、営業、報道機関側は、なんとか情報を入手しようとするのではなく、こちらからの連絡を待つような感じです」
欧米の視点
日本のゲーム業界で働く外国人は、この業界を独自の視点で捉えることができる。視点を自分の文化を別の視点から見ることができるからだ。 日本のゲーム人口が縮小するに伴い、海外市場の重要性は日ごとに増してきている。 しかしバーネットによると、重要性が増しても彼らが外国人同僚にアドバイスを求めるということはないとの事だ。 「あるときプランナーから、なぜ名前入力スペースを 5 文字以上も確保するんだ?と苦情を受けたことがありました。 ローカライズのために必要だ、というのは彼もなんとなくは分かっていたみたいだったのですが、彼の反論は要するに、"今作っているのは日本語版なんだから 後でローカライズ版を作ればいいじゃないか" というものでした」
「こういう問題についての計画が全体的に足りていないんです。 焦点をメイン市場に絞り、ローカライズ版は後から対処する、という手法には必ず問題が付きまといます。 これは想像に難くありませんが、後からローカライズする場合、修正時に途方もない問題がどんどん発生します。 テキスト表示幅が全然足りない、テキストを表示するテクスチャが多すぎる、どれもこれもハードコードされていて処理を自動化できない、などなど。多くの開発者は、日本よりも規模の大きい海外市場の重要性を認識しているとは思いますが、ではそれに対して何が求められているかを理解している人は本当に少ないと思います」
すべての開発者が上述の意見に当てはまるわけではないようだ。 カスバート氏は言う。「任天堂のプロジェクトでは、最初にローカライズについて考え、別言語のグラフィックスやテキストを差し替えられるように心がけていました。 このほうがローカライズ段階に移ったときに作業負荷が軽くなりますからね」
海外市場向けのゲームを開発する上で問題となるのは、欧米でヒットするのがどのようなゲームなのかを日本の開発者が知らないという点ではないだろうか。 日本人は日本製ゲームの魅力を充分に楽しんではいたが、日本の市場はこれまで欧米に対して開かれたことはなかった。"Gears Of War" と "Final Fantasy" の両方が好まれるようになった今の日本市場に、開発者たちが対応していくにはさまざまな課題があるだろう。 カスバート氏はこう言う。「ゲームのスタイルは、見た目にはアメリカ的、西洋的になります。 (西洋での)テーマはより気骨のあるリアルな方向に進む傾向がある一方で、日本のゲームはより抽象的でアニメ的です。欧米産のゲームは平均的な日本のゲーマーの好みには合わないでしょう。 もちろんクラッシュバンディクーのような一部の例外はありますが」
欧米産ゲームが日本市場で受け入れられてこなかった理由のひとつにローカライズの問題がある。 タバレス氏は言う。「ローカライズというのは、単に字幕をつけて UI テキストをいじればいいというものではありません。 英語版をプレイするゲーマーと同じ没入感を提供するには、音声が日本語化される必要があります。 ゲーム中で使用される歌があるなら、それらも日本語化されなければなりません。 ゲーム内で放送されるラジオに CM やジョーク好きの DJ が出てきてゲームに彩りを添えているなら、それらがすべて日本語化されない限り、日本人プレイヤーはゲームの一部を体験できないことになり、結果そのゲームの評判にも影響が出ます。別の地域からゲームを持ち入れるとき、このことがノータッチのままであることが多い」
だが変化は、ゆっくりながら起きているようだ。 「日本ではかつて、日本のゲームのほうが優れているという考え方がありました。 しかしこの数年、ナンバー 1 ゲームはずっと欧米産です。 日本はもはや技術的にもトップではなくなったことに加え、欧米のチームがゲーム開発の負担をより軽くするシステムを生み出したのを見て、日本の開発チームも注目しだしたようです」とタバレス氏は言う。
これにはバーネット氏も同意する。「文化的に鼻にかけている雰囲気も若干ですがあります。 一部の日本人は、本気で(訳注:この本気は欧米産ゲームの現状を知らず、過去の大味なイメージを持ったままなので本気で、という意味です)欧米産ゲームを見下しています。多くの欧米人と同じように、日本のゲームのほうが数段優れていると思っています。 もちろんこれはナンセンスです。 私の同僚は時々、欧米産ゲームのクオリティを見て驚くんです、こんなのできるわけないと思っていた、と言わんばかりに」
欧米のゲーム開発がよりパワフルで最先端のものであるということが明らかになるにつれて、彼の言うような見解は珍しいものになりつつあり、日本側としても無視できない状況になってきている。バーネット氏は続ける。 「僕の同僚にも欧米産ゲームが好きな人は多いですね。 パブリッシャーは未だにゲーム輸入には消極的ですが…。GTA(グランドセフトオート)が日本に来るまでどれだけの年月がかかったか知っています? まあ、この分野でも変化は起きつつあります。伝統のそれと同じように、非常にゆっくりではありますが」
求められる変化
日本では、変化は非常にゆっくりと起きる。 中央省庁の財務記録は未だに紙の台帳と鉛筆で記録されているという話もある。 民間企業はもう少し対応が早いとはいえ、バーネット氏の次の発言のとおり、変化に対する抵抗は未だに残っている。「日本企業は時代の流れに合わせて変化していくためのアクションが極端に遅いです。 従業員の権利や性の平等といった問題でさえ未だに解決されていないのです」
日本で働く外国人にとって、最大の問題は給与かもしれない。 バーネット氏のブログによると、アーティスト、プログラマーの給与水準は欧米と比較して低い。 タバレス氏は、日本企業は新卒を安い給与で雇用する、と言う。 セガやソニーに入社するプログラマーの年収はおよそ 300 万円で、 トッププログラマーの年収がだいたい 600 万円である。 日本企業がそのような方針を採用しているために、日本企業では個人の持つ経験の価値が軽んじられる。
「経営者にとっては幸運、社員にとっては不運なことに、彼らのほとんどは日本語しか話せない。このため基本的に働く場所が日本のシステムの中にしかないんです。 英語を身に付けることに成功した人たちには、より良い給与を求めて日本を去るという選択肢がありますが、そうでない人には選択肢がありません。だから外部からの圧力ではこのシステムは変わらないんじゃないかとも思うんです」
ゲーム業界自体がめまぐるしい変化を起こしている以上、日本企業も変わる必要がある。 だが現状を見る限りでは、それも望めないようだ。 給与、労働時間、実績に対する報酬などの問題は引き続き日本の開発者たちを苦しめるだろう。 「"新卒を安く買い叩く" 問題には全く進展が見られませんし、変わるかどうかも怪しいものです。青色発光ダイオードの発明者は日本を去りましたが、その理由は、企業が彼の発明に対して充分な報酬を与えなかったことに対する怒りからだということです。日本企業は報酬を与えなさすぎる。先述の例は、日本企業がやり方を変えないなら、賢い人は国外に出ろ、と言っているようなものですよね」とはタバレス氏の言だ。
変化の遅さや、そもそも変化が起きていないことと比較できるほど顕著ではないが、この業界にも進歩の兆候が見られつつある。 「まだまだ道のりは長いですが、私も実際にいくつかの変化を目の当たりにしました」タバレス氏は言う。 「例えば、ミドルウェアの導入なんかは私がいたときに起きた変化でしたね。 バージョン管理システムなんかもそうです。 何でもハードコードする手法(訳注:聞くだけで脂汗が出る、ローカライズのこと少しは思い出してください)からレベルエディタなどのツールを使うようにもなりました。内部からの圧力で変化を起こすことも可能なんです。 もしある企業が各人の経験に対して正当な給与を支払うようになれば、他の企業も経験豊かな人材がそちらに流れないように給与を見直すことになるでしょう」
最後に、ゲームの三大地域で実際に生活し、働いたことのあるカスバート氏のまとめをご覧いただこう。
「英国は "パブ文化" の国と言えるでしょう。びっくりするほどグウグウノロノロしているけど、いざ腰をすえると、仕事はとてもちゃんとやるしスキルも高いです」
「米国は "企業文化" の国です。会社の規模に関係なく、各人が機械の歯車となります。このため企業や財務に対する責任は非常に少なくなります。また人々は最高の賃金、最高の機器、最高のソフトウェア、すべての "最高" を求めます ― それを使う、使わないは置いておいて。 このため仕事自体への責任感がとても大きく、非常に頭の回転が速い勤勉な人たちもいます。 ただ、駆け引きとか噂話、ライバル意識なんかが多すぎると感じます」
「日本のゲーム開発文化は、未だに少し "サラリーマン" 的ですね。多くを語らないことで責任を回避しますが、製品が完成するまで絶え間なく努力し続けます。 (喋らない文化が災いして)情報共有がうまくいっていないせいで、日本のゲーム業界は技術的な発展が滞っています。 日本人は納得できるまでディテールにこだわり続け、場当たり的なもの、荒削りなもの、あるいは "オオザッパ" なものを極力排除しようとします」
遅くなりましたが翻訳終わりました。いやー最初に斜め読みしたときより実のある記事であったのだねというのが今の感想でございます。
思うことはたくさんあるのですが、適当に個人的な意見などを。
管理者が「日本語がわからない」という欠点を不当に利用する
何を聞いても、何を頼まれても、どんな問題があっても、"でも君の日本語力では…" というセリフで片付けられてしまっていた
あるある!僕自身海外にいたときに英語が不自由な頃はよくありました、それお前の落ち度じゃん!みたいな。
広報、営業、報道機関側は、なんとか情報を入手しようとするのではなく、こちらからの連絡を待つような感じ
なるほどー。ゲーム情報サイトの現状を見てもそんな感じですよね、公開されたニュースを速報的に伝えるサイトが日本側の人気サイト、マニアックだろうがこまかろうが色々拾ってくるのが海外側、というか。
どれもこれもハードコードされていて処理を自動化できない
これ逆もまた同じで、英語のソフトってハードコードまみれ、バージョンコントロール適当、っていうの未だに結構ありますよ・・・。例えば "It Is NOT True" の赤字がハードコードされてたらどう翻訳したらいいんですか!翻訳者の身になれ!と。というわけでプログラマの皆様よろしくお願いします。
英語版をプレイするゲーマーと同じ没入感を提供するには、音声が日本語化される必要があります。 ゲーム中で使用される歌があるなら、それらも日本語化されなければなりません。
これは大いに異議あり。映画の吹き替えもそうですが、日本人だから日本語が一番というのは一概には言い切れない。理由の一つに字幕を苦にしない国民性があると思う。映画ってほかの国では吹き替えばっかり(字幕だと客が入らないらしい)ってのも聞いたことあるし、例えばドリームガールズが吹き替えされてたら誰が歌おうがひどいことになるでしょうし。
2つ目に、美しい韻やリズムが英日翻訳では等価変換できない。これは "湖上の煙" とか "高速道路の星"とかの遊びを除けば歌の翻訳がほとんどされてないことからもいえると思います。アーチーチーアーチみたいに別の内容にしてリズム一緒とか、最近の映画みたいに別の歌を使うとかすればいいのかもしれないけどそれこそ英語の雰囲気が消えてしまうし。
日本企業では個人の持つ経験の価値が軽んじられる
前半の所感のところで書いた "即戦力を雇用するか毎回青田買いするか" の問題ですね。なんというか、日本人として生きてると疑問にすら思わないことが時々あるのですが、こういうのって改めて外から見ると不思議ですよね、おせっかいに会社がひよこに金かけて育ててあげるのって。あ、崩壊した終身雇用システムとあいまって今さらにカオスなのか。
というわけで今回も無事終わりました。感想、苦情、訂正などはコメント欄までお願いします。
長い記事、読み通していただきありがとうございました。
「作品」としての質のほうが大きく取り上げられることにより、「製品」としての開発スキルが二の次になってしまうという傾向はありそうです。二の次ということは、体力のない所ほどそれを削ろうとする。このあたりは資金調達の面でも文化による違いが表れてそう。