2007-2-3: 全体を要約・箇条書きしました。長いよダメというかたはこちらをどうぞ
ゲーム一般:ゲーム全般:アメリカと日本のゲーム文化の違い 全体を要約しました
Clash of the culturesThe differences between Western and Japanese game design philosophies.
[1up.com]
翻訳最初のほうだけ。全部一気には載せられなそうなので小出しで!
推敲とか全然してないので文のかかりとか表現が硬いとかそういうのはご勘弁を!
モチベーション維持のため感想/コメントをお待ちしております(´д`)
続き>>近代において、アメリカは数々の革新を生み出してきた国だ。 自動車、テレビ、コンピューター、数えればきりがない。 そして多くのケースでは、生み出された概念が別の国で補強、改善され、 それぞれのテクノロジーの裾野を広げてきた。 もちろんテレビゲームも例外ではない。 テレビゲームが生まれたのは米国だが、今日のゲーム業界は世界中のゲーム開発会社によって支えられている。 一方で、ゲーム業界には2大勢力がある。創始者アメリカと、80年代中盤にコンソールゲーム機を救った国、日本だ。
ゲーム製作の現場には、血と汗と涙、それに+αが必要だ。
ゲームは製作される土地の文化の影響を色濃く受ける。 それは視覚的要素、使用される楽曲、そしてゲームプレイを左右する側面にも及ぶ。 米国と日本には、外側から来るアイデアを容易に受け入れるという文化があるが、 受け入れた要素にひねりを加えて自国に馴染む形に変形させるという傾向も持っている。 日本のゲームデザイナーがアメリカのアクションムービーを観て、ゲームにクレイジーテイストを組み込み、 メタルギアソリッドを生み出す(訳注:MGSってそんなにひゃっほうって感じだったっけ?)。 アメリカ側では スーパーマリオ64などの3D ステージクリア型ゲームに影響を受け、 似た感じでよりダークに仕上げたジャック・アンド・デクスターを作った。
概念を現地の文化独特のものに仕上げながら慣れ親しんだ感覚も維持するため、 新しいアイデアは常に行き来を繰り返し、独自性を高め、リメイクされ続けている。
しかし両地域のゲーマーが自国のゲームばかりを好むのは一体なぜだろう? 米国の売り上げランキングが銃を抱えた巨体の男たちが活躍するゲームで独占され、 日本のゲーマーが空想的 RPG に群がる理由は?
調査、リサーチ、討論の結果、私たちは興味深い事実に行き当たった。 すべてが検証済みで科学的な理論に基づくわけではないが、 それでもなおいくつかの質問―なぜ Xbox360 が日本で売れないのか、といった類の質問― に対する回答になるのではないだろうか。
自由
アメリカ人は個人の自由を非常に重要視し、強い自我を持つ。 また積極的に自分の政治的・宗教的信念を持ち、自己を防衛する。 またアメリカ人は自分の車を愛する。これは公共交通機関では絶対に得られない「移動の自立性」が得られるからだ。
また「商業的な競争」も大いに歓迎される。資本主義と革新を推進するからだ。 アメリカは、そもそもの国の成り立ちから独立を勝ち取るために戦い、 上述の自由を当然のものとするために戦った、開拓者精神の国として知られている。
必然的に、アメリカ人はゲームでも「自由」を愛する。
「欧米のゲームが観客向けに作られているのに対し、 多くの日本製ゲームはプレイヤーをデザイナーの世界へ招待するようなつくりになっていると思う」 とは、Breakaway Games 社のJames Clarendon氏の言葉だ (氏は以前Ion Storm 社のDeus Ex: Invisible War や Thief: Deadly Shadowsなどを担当した)。
この哲学はゲームデザインのすべての要素に当てはまる。 例えば、米国と日本のゲームではカメラコントロールの扱いが大きく異なる傾向がある。 「多くの日本発ゲームではカメラの視点は固定されており、より映画的なアプローチが試みられているが 、評価の高い欧米発のタイトルでは、カメラを移動できるようにすることで プレイヤーに周りを見回す自由を与え、ゲームプレイを向上させている」(同氏)
グランド・セフト・オートやスプリンターズ・セル、ラチェット・アンド・クランクといった人気ゲームでは カメラコントロールは完全に自由である。では、カメラの視点を固定する傾向の強い日本の各種ゲームと比較してみよう。
日本開発のゲーム、デビル・メイ・クライにおいて、プレイヤーは視点を変更することはできなかった。 三國無双 (日本で人気の高いアクションゲームシリーズ) でも、 プレイヤーはカメラのリセンタリングしかできなかった (最新作Samurai Warriors 2 では改善された)。 メタル・ギア・ソリッド3でカメラ視点を自由に動かせなかった点については批評家の多くが不満を示しており、 Substinence のディレクターズカットではコナミに追加するよう求めている。
なぜ制限するのか?日本のゲーマーが3D酔いを起こしやすいという理由はある。しかしそれと同じくらい大きな理由として、 カメラ視点を制限することにより開発者がユーザーエクスペリエンスをより詳細にコントロールできるという点がある。 「ほとんどの日本製ゲームは、ゲーム世界に手を加えられないよう制限されている。カメラの視点を固定すると、 映画的なスタイルを強め、ゲーム開発ディレクターがより流れを掌握できるから。」
同じくBreakaway Games社のKane Shin氏は言う。「もしかすると昔のゲームからの名残なのかもしれない。 古い2D ゲームではゲームに関係するすべてのものが同じ画面に映っていた。ユーザーが体験する内容を固定できるから、 「視点の固定」はゲームデザイン的には面白いゲームを作るプロセスを単純化する。 欧米のゲームでは、一般的にあらゆる角度からゲームの世界を見られるもののほうが好まれるようだ。」バイオハザード 4 とオリジナルのデビル・メイ・クライのプロデューサー、小林 裕幸氏もこれに同意する。 「一般的に日本の開発チームは、ユーザーが開発チームの想定したとおりにゲームをプレイできるようにしたがる。 開発チームが体験させたいものをプレイヤーが確実に体験できるようにするために、固定カメラが広く採用される。 カメラ角度を適切に固定できればプレイヤーは頻繁にカメラを回転させる必要がなくなる、 という考え方はゲームデザインにおける課題として存在する。」
カプコンに長年勤める、デッド・ライジングとロスト・プラネットのプロデューサー、 稲船敬二氏はこの意見をさらに補足する。「日本人は本当の意味ではカメラのコントロールを必要としていない。 例えば、東京ゲームショウで日本のプレイヤーがロスト・プラネットをプレイしている際に、 カメラ操作に困っていることがよくあった。それは単にカメラを操作するという行為自体に慣れていないことを示していると思う。
日本の伝統的なゲーム、例えば 2D 横型スクロールアクションゲームや RPG などでは、カメラを移動する必要はまったくない。 日本人は何をするのかが厳密に定義されていることを好むし、ゲームでも目標を示されたほうがゲーム自体に集中できると考える。 私の感じる限り、欧米のプレイヤーは一度に複数のことをうまくやるし、 日本のゲーマーより自由な環境やユーザー管理のカメラ視点にうまく適応すると思う。」